どうやって書こうか、ずっと迷っていたんです。
でも、迷っているうちにどんどん時間は過ぎていきます。
だったら、カッコつけず思うままに書いてみればいいじゃん!
私の経験がもしかしたら、誰かのお役に立てるかもしれない!
やっとそう思えて、今、こうして書き始めました。
長くなりますが(すでに連載決定ですw)、お付き合いくだされば幸いです。
介護のはじまり
ここ数年、友人や親戚や知り合いの方々から、親の介護のお話を聞くようになりました。
それぞれの方が出来ることを精一杯頑張っておられます。
そりゃもう頭が下がるほどに。
かくいう私も、義母と義父の介護を何年もしてきて、去年11月、ようやく卒業しました。
思い返してみると。
義父母とも、70代後半にもなると徐々に身体が弱ってきて頼られることが増えてきて。
私がいないと困るから、と責任感も感じてやることがいっぱいになり。
旅行もその前から全く出来ない時代が20年ほど続き、10年ほどは実家に泊まることさえできなくなりました。
めっちゃ近所なのに!
何かあってもすぐ帰れるのに~と思ったりもしましたが、時間ができるとここぞとばかり、友人らと会ったり観劇に出かけたりしてたのね。
だからよく考えたらすぐに帰れなかったわ笑
それでも、義父母のお世話するのは当たり前!
そんな昭和世代の価値観と環境の中で育った私。
日帰りならお出かけできるし(主に観劇)、好きなことやれてるし、まぁまぁ自由に生活できているから
【私は自由だー!】
なーんて本気で思っていた日々でした。
言葉の暴力
そして、義母は本格的な介助が必要になってから3年。
本当に自分で言っちゃいますがよく頑張って看取りました。
義父は、義母が御世話できているうちはさほどしなくてもよかったのですが、それが出来なくなってからは私が。
そしてついに去年11月に、私ではお世話しきれなくなって介護施設に入所しました。
この結論に至るまでの介護期間、そりゃあもうイロイロありましたよ。
その中でも1番辛かったのは、私の場合お世話することよりも
【言葉の暴力】
でした。
どういうことかというと、義母は一時期認知症が酷かったんです。
何かなくなると全部私のせいなんです。
私はもともと、義母の性格や行動をわかっていたので、忘れ物・失くしものがあっても、たぶんココだろうとか、あの場所かな?って見当がつくのです。
探して持っていくと、最初の頃は素直にお礼を言われていたんです。
が、認知症になってからは、
「隠しておいて出してきたんだろう!!」
(ちょっと違うww でもこのくらいの迫力でしたー)
とか、ほかにも、もう聞くに耐えないことを言い始めるんです。
そして、夫婦ですからね~
妻 > 嫁 ですよもちろん。
まぁよく考えたら当たり前の構図。
というか、私もその時、夫が信じてくれなかったら絶望してたな~。
ということで義父まで私を信じてくれなくなっていきました。
最初はしっかりものの義母でしたから認知症とは思わず、なんで私を信じてくれないんだろう、と本気で悩んでいました。
まさかの認知症
ある時、そんなことを友人の野口みずほさんにお会いしたときについ愚痴ったら、
「それって認知症じゃないかな?」
と。
彼女は凄腕整体師でもあり、カウンセラーもしているので私の話を客観的に聞いてそう言ってくれました。
それが私の心にどれほど大きな灯りを灯してくれたことか
そして、そんな私を救ってくれたのがアロマ。
エッセンシャルオイルだったのです
続きます。